ふたりの間に、確かにそこにあるもの

出会ったのは、大きな建物の白い部屋だった。
彼もまた白い服を着ていて、私が部屋に入ると正面に座っていた。

「緊張していませんか?」

初めて彼の声を聞いた。
緊張はしていたかもしれないが、そんなことより、今の状態をどうにかしてほしい。

目の前が霞がかるのが無くなっていったと感じたのは、その3か月後くらいだろうか。

毎月彼に会い、会うたび白い彼の奥に置かれたものを眺めていた。
そのうち、自然と彼自身を眺めるようになった。

彼との関係が変わったのは出会ってから8か月が経った頃だったように思う。

満月の夜だった。中秋の名月。
私は押しても返事がないチャイムに戸惑いながら、アパートの欄干に背を持たれ枷させている。
本当にここなのか。明るい月はそうだ、と言っている気もするが、そんなことは知らない、とも聞こえる。

足音が聞こえる。
何も走らなくても、と思いながら、月光仮面さながらに登場した彼が少しおかしかった。

その日から、彼との密会が始まる。
薄暗い部屋の中に入り、椅子に腰かけると、現実から遠い世界へと誘われる。
別に怪しいことをしているわけではないのだが、ふたりにしかわからない世界を旅してきた。
砂漠にも行ったし、海にも行った。宇宙を漂い、古代の地面を歩いた。
その世界は自由だが、決まり事もあった。鬼ごっこをするのにルールがあるほうが楽しいのと似ているのかもしれない。それが、私のためでもあり、私の苦しみでもあった。

ただいつも彼は、そこに存在し、私の存在を感じていた。

半年の会わない時間があり、その間に、大切な人がいなくなってしまった。
考えてもいなかったことが突然起こった。
一番最初に伝えた電話越しの声はいつものようにそこに存在していた。

「もどってくるのか」
「もどってくるよ」

大切な人がいなくなる1か月前に交わした言葉だった。
その言葉どおり、私はもどり、喪失を身体と心に馴染ませるように暮らした。
悲しみは意識されるより大きく、なかなか「普通」には戻ってくれない。
そんな1年の間も彼は、そこに存在し、私の存在をただ感じていた。

「そこにいる」ということがどれだけ尊いことか。
あわただしい日常生活では忘れられてしまう。
失って気づき、あらためて、彼が存在し続けてくれたことの価値を知った。

春。

私は、昨年末から始めたガラスと、これまで作ってきた糸細工を合わせた作品をやっとの思いで作り上げた。
そこには「人が生きるということ」が表現されている。変わるものもあるし、変わらないものもある。両方あっての人なのだ。それは、彼との時間を過ごす中で明確になっていった思いだった。

完成した作品を持って彼に初めて見せた。彼との世界を旅して、気付いたこと、考えたこと、そこから生まれた作品だったから、一番最初に見せたいのは彼だった。
彼はじっくりと眺め、私の話を聞いた。

そして、「進みたいから終わろう」
卒業制作といえる、桜色の作品とともに、そう伝えた。
彼も納得したようだった。

終わったらどうなるのかわからない。怖さもある。
でも、ふたりの間にあるものはそう簡単に揺るぎはしない。そう信じたい。

ちょっと変わった「恋」の形で、普通じゃない「愛」の形。
ふたりの間に、確かにそこにあるもの。

色んな形の「愛」がある。
私の「恋」や「愛」の形を否定しないでいてくれる周りの人たち。
とても、ありがとうを伝えたい。
そこにも「愛」がある。

「愛とはなにか」
難しいけれど、いつまでも答えは見つからなくてもいいと思う。
それは、考えるものではなくて、気付き、感じるものだから。